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エヌエフ43製作室  2017 ヌキテパ

魅惑の世界 1/43ミニカー作り

 
Category: らくがき  

風化も・・・

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●3月11日になにが起きたのか (櫻井の体験より)

2時46分
震度6強(マグニチュード9.0)の地震が発生し、約4分間大きく地面が揺れ続けた。
閖上小学校校長は下校中の1年生2年生を小学校に呼び戻した。
停電のため、信号は全て消え、携帯電話もほとんど繋がらなくなった。
家屋の被害は少なく、みな落ち着いているように見え、隣の人と話したり、片付けをしたりしていた。

3時15分頃
当所はNHKラジオで津波警報3m~6mの津波と放送されていたが、
その後一括りにされ、岩手・宮城・福島地域10m以上の津波と放送される。
通行止めや渋滞などの道路交通情報は放送されていなかった。
閖上地区の場合、午後3時以降に指定避難場所だった閖上公民館へ避難住民が集まってくる。
民生委員が一人暮らしの老人を訪ねて周り、避難所まで移動させた。
各町内会長、消防団、市会議員、避難誘導開始。

3時半頃
消防団の指令で、公民館長が公民館に避難した住民に、約300m先の閖上中学校へ移動するよう指示。
公民館では午後1時から2時までの「閖上中学校」や、「閖上わかば幼稚園」の謝恩会を行い、その片付けをしていた。
閖上大橋上で地震によるトラックの横転事故のため、主要道路の浜街道は大渋滞をしていた。
避難方法は車での移動が大半で、駐車場の出し入れから交通渋滞が起きた。

3時50分頃
閖上地区に津波襲来。町が壊滅状態になる。
指定避難所である閖上公民館も一階部分は完全に水没した。
交通渋滞で止まっていた車の大半が津波に襲われた。
中学校の駐車場で車の中でラジオを聞いていた人が、津波に気がつかず車ごと流された。
一部の流された車のバッテリーや、プロパンガスのボンベから火が出て、危険で近づけない状態になる。

3月11日夜
すぐには水が引かず、避難住民は孤立したまま一夜を明かす。
一部の父兄は、腰まで水に浸かりながら、懐中電灯を頼りに子供を探しに来る。

3月12日
自衛隊による救援開始。
閖上地区への道路が確保される。(大部分は冠水中)
流されてきた遺体の回収の開始。
市内の全戸停電が続く。

3月13日
小学校・中学校に避難した住民を、内陸部の避難所へバスで移送。
市内のほとんどの地域で停電が続く。

・・・ 以下略




あの東日本大震災発災から5年。上記の文章は、津波被害で死者行方不明者700人以上と、取り分け多くの犠牲者が出た宮城県名取市閖上(ゆりあげ)地区の発災当日からの様子を綴った手記である。 この地で毎年行われる復興イベントが御縁となり、運営プロジェクトから送って頂いたリーフレットと供に同封されていたA4用紙3枚のコピーの一部で、それを転記させて頂いた。(尚、筆者の櫻井さんには無断転記したことをお詫び致します)

シンプルな表現で淡々と語られているように思えるが、むしろそれが逆に津波発生時の緊迫した状況を生々しく伝えてくれている。 これを受け取ってもう丸二年となるが、この時期になると、いつも封筒から出して何度も繰り返し読んでしまう。いざ自分自身が、この中のどこかにいる一人だったらと思うと、身の引き締まる思いである。

テレビなどのメディアでも、継続的に被災地の方々による体験談などは取り上げられている。しかし、こうして紙に書かれたものが直接自分の手元にも現地から届けられ、それを直接読ませて頂いていること自体が、テレビ・ラジオで見聞きする以上にとても大きく感じられ、心に刺さるものがある。そして初めて読ませて頂いたときから涙が出た。

この震災体験を風化させないようにとか、けして忘れてはいけないとか言うけれど、当事者である被災者のみなさんにとって、逆にあまりにもリアルな記憶は大変辛いものであるに違いない。実際に被害を受けた方々の中には「もう早く忘れてしまいたい」と思っている方も少なからずおられる。 こうした思いは当然のことであるし、その気持ちもすごく良く解る気がする。

遠く離れた地で、しかも何の被害も受けていない立場での単純な発想で「忘れてはいけない 風化させない」というのは簡単。しかし最近では、そうした言葉を軽々しく口にするのもなんだか気が引ける自分がいる。そして、それが良いのか悪いのかも解らない。

きょうの名古屋は、五年前のあの日と同じでカラッと良く晴れた寒い日だった。 金曜日であった事がとても印象的だが、自分自身の生活パターンも当時とは変わり、年月が流れる速さを感じずにはいられない。 被災地の方々は、あの日を境に人生そのものが大きく変わることを余儀なくされ、意に反した思いの中で、今も頑張っておられるかと思うと胸が痛む。

この先の五年は、今までの五年間と同じだろうか。遠く離れた我々と、被災地の方々では、その流れの速さに大きな差があるに違いない。10年後は今より良くなり、15年後はもっと良くなる。 そして今の子供たちが、じいちゃんばあちゃんになり、完全復興を果たせたなら・・・  震災の記憶なんて風化してもいいではないか。嫌な想い出なんて消えた方がいいではないか。もちろん教訓は残したままで。


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お久しぶりです。
いつもながらエヌエフさんの被災地に向ける思いは有難く思います。
自分は文章を書くのが下手でイマイチ自分の思いを書けませんが、エヌエフさんが自分の言いたい事を書いてくれています。ありがとうございます。
最近では5年一区切りみたいな感じがしている被災地ですが、まだまだ皆さん頑張って復興しようと努力してます。
これから風化させないで我々で震災の記憶を伝えていかなければならないと思います。
トマソンさんへ 
おはようございます。
いつもありがとうございます。
復興はどこまで進んでいるのかとか、復興のスピードが遅いとか… この判断は大変難しいものだと思います。政府の見方、被災地のみなさんの感覚、双方にはきっと大きな差があると思います。
どういう状態になったら復興が果たせたと言えるのか。個人的には答えは無いと思っています。仮に10年後に物理的な復興が完了したとしても、現地のみなさんの内面的な復興はありえないような気もします。
50年後、100年後に単なる歴史の1ページとならないことを祈るのみです。

わたしがこうして名取市の閖上に思いを寄せられるのは、少なからずトマソンさんのブログが大きく影響しています。おかしな言い方ですがそのことに感謝しております。いつかお会いして色々な話を聞かせて頂きたいと思っています。もちろん模型の話も^^
とにかく、生きている間は被災地のみなさんにエールを送り続けたいです。
コメントありがとうございました。
管理人のみ閲覧できます 
このコメントは管理人のみ閲覧できます
匿名さんへ 
こんばんは。
この手記は本当に当時の状況が目の前に広がる気がします。
特に、渋滞中の車がそのまま津波に流されたと言う部分で、思わず胸に痛みが走ります。

「明日を生きるために、忘れた痛み・・・」
「とにかく前に進まなければならない 今はそれだけで精一杯  でも・・・」
私こんな風に解釈しながら思いを込めていました。

多くのアーティストが様々な気持ちで復興をテーマにした楽曲を出していますよね。
それらを聴き、単純に感動したという言葉だけに留めるのは良くないですが、どれも素晴しいと思います。

今、わたしにできることが復興を祈ることしかないのが残念でなりません。
コメントありがとうございました。
ヴェルソさんへ 
こんばんは。
拍手コメントいつもありがとうございます。
メッスィボクゥ!

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Author:エヌエフ
クルマやモータースポーツにはまるで弱いのに、マニア向けのミニチュアカー作りを生業とする、チョッと変わった人生を送っています。
なぜか自転車好きでこちらの方面では、今でも熱く語ります。

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